消えた2ヶ月分の給料|左京区

12月25日、今日の京都市左京区は晴れ時々曇り。
クリスマスも終わり、今年もあと少しで終わりです。

12月が終わろうとするこのぐらいの時、なぜだかふと脳裏をよぎるコトがあります。
「明治の改暦」です。

日本はもともと「太陰太陽暦」を使っていました。
それが、明治5年の11月9日に「その年の12月3日を次の年の1月1日にする」
という突然のお達しが出たのです。
12月2日の次の日が、1月1日になるってことです。
で、その時から、現在使っている「太陽暦」になったのですが、
暦が変わっただけなら、
「ふ〜ん、そうなんだ〜」ってなもんかもしれないけれど、実はコレには裏があったのです。

簡単に説明すると、
徳川幕府から政権を引き継いだ新政府にはお金がなかった。財政難ってやつですね。
江戸時代には、年間〇〇石といった「年俸制」だった公務員の給料を、
明治に入ってからは「月給制」にした。
明治5年は運悪く閏年で1年が13ヶ月あった。
1ヶ月余分の給料を支払うことが、財政難の明治政府には頭痛のタネ。
そこで急いで改暦をした。
「うわっ、せっこ〜」ってハナシです。
が、ここにもまだ裏があったのです。

支払われなかったのは、13ヶ月目の給料だけでは、ありませんでした。
12月が2日しかなかったわけですから、
「2日しか働いてないのに月給くれとは、ないだろう」ってことで、
2ヶ月分の給料を払わなかったのです。
「ひどーいっ!」ってハナシです!
しかし財政難の明治政府は、まだやっちゃってくれます。

当時は、政府の編纂した暦を特定の民間業者が「冥加金」を払って権利を買い、出版していました。
政府は、その「冥加金」をちゃっかり受け取ってから改暦をしたのです。

印刷業者は、印刷した暦が全部ただの紙切れになってしまい大損害をこうむりましたが、
政府には新しい暦の「冥加金」も入ることになり、万々歳です。

「・・・」
財政難で「背に腹はかえられぬ」だったのかもしれませんが、本当にひどいハナシです。

改暦の真相を知ったのは、浅田次郎の小説「五郎治殿御始末」の中の「西を向く侍」を読んだとき。
当時の混乱や新政府の思惑、改暦の経緯などが、史実にわかりやすく描かれてます。


 

 


 

 

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